わたしの熊本の出身高校には「三綱領」という明治時代から継がれてきた行動指針があります。
「倫理を正しうし大義を明らかにす」
倫理とは必ずしも決められたルールや既存の道徳観ではないと思っています。そこには、時代と共に新しい解釈があり、倫理には不変の正解なんてないと思っています。例えば、私が毎日接している仕事の中で感じること。「認知症だから、障害だから、この人の安全、家族の安心のため」という大義の下で、健常者が、または、常識者と言われる人々が成人当事者の意志を無視して、ことを進めゆくことが正しいとは思えません。人口減少、少子高齢、障害の多い世の中において、少なくとも自分の半径50メータ内にある「人への尊厳」には重きを置いた倫理を正しくして大義を明らかにしたいと行動しています。出身地 | 熊本 |
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出身校 | 66年熊本→長崎→五福幼→白坪→託麻西小→東部中→済々黌→早大→パソナ→アラスカ・オクラホマ大非常講師→ワタベ米国ディズニー衣裳店長→コムスン副支社長→伊藤忠EJ〜大阪公立大学院〜現職13期目 |
誕生日 | 1966/12/19 |
血液型 | o型 |
資格 | 熊本の山林、和歌山の海で鍛え、大阪市立大学(現大阪公立大学)大学院で都市政策を学び、ディズニーワールドで培ったSCSEのマインドで運営に注力し、同じく、住民の方々へサービスへの提供努力いたします。 |
趣味 | 仕事 |
これは自慢だ | 仕事が早い |
休日の過ごし方 | ない(休み時間が少しでもあれば休むことにしている) |
ブランドショップ店員から渡米し米国ディズニーワールドへ
1966年熊本生まれ。
1991年人材派遣(株)パソナ入社。
同期入社160人中3位で新人賞獲得。
その後、調子に乗って、新規事業部の立ち上げ2年目で主任に。
しかし、様々な重圧に負けて、異動。
関連のデザイナーズブランドショップの店員としてお裾直しの早さと客の呼び込みで実力発揮。
しかし、人の成長に関わる仕事がしたいという理由で、退職。
実はアメリカンドリームで一発当てようと企んで単身渡米。
けど、そんな青年に近寄ってくるドリーマーは一人もなく、地味に日本ボランティア講師として、アラスカ大学(94-95)、オクラホマ大学(95-97)で教鞭をとる。
それは結構楽しい期間であった。なぜならば専攻の学生が教室の外にも溢れかえるほどの人気講師になれたからだ。
しかし、テキストのカリキュラム通りに進まずにやっていることが教授にばれてしまい、教育者への道も断つことに。
暴れん坊時代はここで終了。
しっかりとした職に就くために行くあてがないオクラホマから一気に1710km南のフロリダへ。
幸運にも、米国ディズニーワールドウェディング指定衣裳室(WATABE U.S.A)の店長に着任。
年間1000組以上のプロデュースに携わる。
着任時の年間売上6000万円から1年半で2億超の売上を2年連続達成。
と、ここでも調子こきすぎて、1年半でスタッフの離職と採用を繰り返し、最初のスタッフは全員辞めてしまうという店長失格も体験。
実は売上の結果は入れ替わったスタッフの必死の店舗運営のおかげ。
私はスタッフのアイディアをウェディングのプロデュースにちょっとサポートしただけ。
それでも、少しずつ伸びていく売上と、日本への直販初めてのニューヨークウェディングの商品化やユニバーサルウェディング、地元教会の開拓、プライベートブランド商品等で200万ドルの売上に賑わう店内に気を良くする。
しかし、調子がいいのもここまで。
帰国後、10店舗から120店舗のマネジメントへ
自分探しの旅もいいかげんにせんと、36歳の時、自らの親族の障害・高齢問題に直面したのと「日本」の将来を本気でどうにかするために帰国を決意。
(株)コムスンに入社。
現場経験から、採用、支店長、部長代理を3年で、社内の諸問題解決のための面談や外部クレーム処理、債権回収、行政対応でマネジメント力の強化と後任の育成に取り組んでいるところを、当時の上司に統括責任者に抜擢いただく。
なんと一気に10店舗から120店舗のマネジメントへ。
環状関西副支社長に昇進し、退職
とにかく実は鈍臭いことをカバーするために本部に出勤は朝7時。
そのまま問題ありで選抜した現場に出勤し、管理者、スタッフ、利用者、家族との会話を通し、肌感覚で起きている問題を見つけては、夕方本部に戻って夜遅くか、朝まで残業を土日含めてほぼ2年繰り返す。
毎月の実績は地味な統括部であったが、気がつけば年間合計実績は全国1位の統括部に成り上がらせる。
その後、環状関西副支社長に昇進。
挫折だらけの退職。
介護の諸問題を解決するための手法を体系化
その挫折キャリアの経験を活かし、介護の諸問題を解決するための手法を体系化。
「介護福祉事業の運営リスク特化型のコンサルティング事業」創設。
現在は、大阪市立大学院都市経営研究科所属。
介護事業経営研究会CーMASスペシャリスト、(社)医療介護経営研究会C-SR顧問にて活動。
執筆実績は週刊ニューヨーク生活プレス、新日本保健新聞社、介護専門誌QOLサービスにて7年以上連載中。
(当社2021年4月現在、年間実地指導対策平均150回以上、運営コンサルティング累計667事業所)
Eiichi Nishimura,
Bachelor of Humanities and Cultural Studies, Lifeguard, executive trainer and CEO of HELPZ, a risk management services.
2004-present: Supervisor who instructs caregivers regarding care management to elderly people who have been certified to receive long-term care at their request and their family members' request and who also acts as an intermediary to create a care plan that involves connecting and making arrangements with service institutions, medical treatment, nursing care and community support.
1997-2004: Manager who works with wedding
company WATABE in Walt Disney World® and coordinated agent in Japan.
1994-1997: Instructor of Linguistic at Univ. of Alaska and Oklahoma Univ.
「人への尊厳」には重きを置いた倫理を正しくして大義を明らかに
わたしの熊本の出身高校には「三綱領」という明治時代から継がれてきた行動指針があります。
「倫理を正しうし大義を明らかにす」
倫理とは必ずしも決められたルールや既存の道徳観ではないと思っています。
そこには、時代と共に新しい解釈があり、倫理には不変の正解なんてないと思っています。
例えば、私が毎日接している仕事の中で感じること。
「認知症だから、障害だから、この人の安全、家族の安心のため」という大義の下で、健常者が、または、常識者と言われる人々が成人当事者の意志を無視して、ことを進めゆくことが正しいとは思えません。
人口減少、少子高齢、障害の多い世の中において、少なくとも自分の半径50メータ内にある「人への尊厳」には重きを置いた倫理を正しくして大義を明らかにしたいと行動しています。
「廉恥を重んじ元気を振るう」
これもようやくわかり始めたことです。私の思う「廉恥」は「恥ずかしいこと」「人の道にそれたこと」「迷惑をかけないこと」ではなく、失敗、不運続きで何度やっても成功できないこと、自己破産、離婚、事業の失敗等プライドがズタズタになっても、恥ずかしく思うな、本当に恥ずかしいことは何か?と自分のプライドにリミットをかけず、他人の思う「恥」というフィルターを通さず、自分の価値観を重んじて、「どぎゃんかする」「どしこでんする」と諦めることなく元気を振るうことだと思います。
「知識を磨き文明を進む」
今の言葉で言うと「わさもんしか勝たん」とでも言うのでしょうか。もちろん、高校生活の中では知識=勉強をたくさんするとしか捉えきれていなかったが、私が社会に出てからの「知識を磨く」は、読んだことのない本やアートを体験すること、いろんな種類の人に会ってみること、そして、最も大事な知識が経験したことのないことにハマることではないかと思うのです。人生で一番もったいないなと思うのは、「もう60だから今から起業なんて晩年に泥を塗るなんて恥ずかしいとするのか、100歳までまだ40年あるから今からサックス始めて40年の経験を積みたいなのか、自分の中で年齢を理由に勝手な廉恥をつくって文明を進んでいないことです。
ある経営者の言葉で「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである」という妖怪チックな名言があります。これ好きです。
今は、福祉事業の経営者として13期目です。経営者としてもまだまだ中途半端。自分の思っている「あれしたい、これしたい」という夢への途中だと思っています。何歳になっても初心で、自分の周りの全てが「天地万象みな我が師」。届かない夢や栄光をつかむために、起きること全てを受容しつつ、これからもたくさんの経験を積んで、自分の大義を明らかにします。